
2012.08.21(火)

さて、まだまだ暑い日が続きますね!
こんなが続くとランチやディナーはソバつるっと食べて済ませたいと思ってしまいます。
そばの旬は10月。東京のそば屋では10月になると「新そば」のポスターが張り出されます。
そばは成長が早く、種をまいてからわずか75日で身を熟します。なので7月と10の年2回の収穫がされますが、とりわけ、10月に収穫するそばは7月よりも味も香りも優れており、「新そば」と言えば、通常10月ものを指します。
一方、7月の新そばは10月と区別するため「夏新」と呼ばれます。
10月になったら蕎麦屋に新そばを食べに行くのが江戸っ子の粋でした。
江戸で最初の蕎麦屋は18世紀半ばの江戸の薬研堀、いまの東日本橋にできた『砂場』だと言われています。
この店は、元々は大阪の遊郭・新町にあった、1584年創業の『和泉屋』のいわば東京支店。
大阪の『和泉屋』は周りが建設用の砂置場だったため、浪速っ子から「砂場」と呼ばれていました。それがそのまま屋号になったと言われています。
その後、大阪や薬研堀の『砂場』は店を閉めましたが、そこから暖簾分けた室町・巴町・虎ノ門・赤坂などの『砂場』は今も続いていて、その中でも、1912年に麹町から南千住に移転した『南千住砂場』は現存する最古の「砂場」として、全国160店舗の総本店となっています(ここには交際クラブ・デートクラブで出会った彼女ともよく行きます)。


この砂場と並ぶ老舗が、神田の『やぶそば』です。

ルーツは19世紀初めからいまの文京区千駄木で営業していた『団子坂蔦屋』という蕎麦店で、この店は深い竹藪に囲まれていたため、江戸っ子から「藪そば」の愛称で呼ばれていたようです。
明治に入って蔵前で蕎麦屋を営んでいた堀田七兵衛が「藪そば」の神田支店を買い取って営業したのが、いまの『かんだやぶそば』。その七兵衛の三男の勝三が1913年に浅草に出店したのが『並木藪』。その勝三の次男の鶴雄が1954年に上野にだしたのが、『池之端藪』。この神田・並木・池之端のいわゆる「三やぶ」はいまも健在で江戸前そばの名店として営業している。

交際クラブ・デートクラブで出会った彼女とも”「三やぶ」比べ”と称して三軒はしごそばしたこともありますね!(女子には並木藪が好評)
そば通たちはこの『藪』と『砂場』の二つに1789年創業の『永坂更科』を加えた3店を「江戸前そば三大老舗」と呼んでます。


また、18世紀に浅草にあった道光庵という寺に、そば打ち名人の住職がいて、そのそばを食べに遠くから客が押し寄せてました。道光庵は繁盛しすぎて総本山からそば作りを禁じられてしまいます。
江戸ではその名声にあやかって屋号に「庵」をつけるそば店が続出しました。
それがいま東京中にある「長寿案」や「大むら庵」の起こりです。
そもそもそばは戦前までは食事ではなく、間食。蕎麦屋は喫茶店と居酒屋の合わせたようなものだったんです。従って、歴史の古い老舗ほど、一枚のそばの量は少ない。はしで二、三度すくえば無くなってしまうレベル。
その間食だったそばが会社員の昼食になったのは終戦後、食糧事情が悪化してからのこと。
おかげで蕎麦屋が急に忙しくなり、地方から集団就職で上京して蕎麦屋で働く若者が増え、彼らが独立し店を開業しはじめた1950年くらいから東京にそば屋がグンと増えました。
蕎麦屋のルールを知って想いを馳せてズルズルとそばを食べる。これって粋じゃないでしょうか?
ちょっと長くなってしまったため、一旦終了。次回はそばの後編にしたいと思います。